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イーマーンとその諸特質

اليابانية - 日本語

المؤلف ムハンマド・ブン・イブラーヒーム・アッ=トゥワイジリー ، サイード佐藤
القسم مقالات
النوع نصي
اللغة اليابانية - 日本語
المفردات العقيدة - الإيمان بالله
イーマーンとは何かを、その様々な段階を含めて簡潔に見ていきます。

التفاصيل

8-イーマーン   ●     イーマーンとは:①アッラーとその②諸天使、③諸啓典、④諸使徒、⑤来世、そしてそれが良きことであれ悪いことであれ⑥運命を信じることを言います。イーマーンは言葉及び行いを包含します。つまり心と舌でもって言葉にし、心と舌と身体をもって実践されるもので、アッラーに対する服従行為によって増加もすれば、反抗的行為によって減少もします。   ●     イーマーンの分類: アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)はこう伝えています:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:“イーマーンは70数個、あるいは60数個に分類される。その内最大のものは「 ラー・イラーハ・イッラッラー(アッラー以外に真に崇拝すべきものはない)」の言葉であり、最小のものは道から有害なものを除去することである。そして羞恥心はイーマーンの1部門であるのだ。」(ムスリムの伝承[1])    ●     イーマーンの段階: イーマーンには旨み、甘美さ、そして真実があります: ①       イーマーンの旨みとは:預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)が次に示す言葉の中で示しています:「アッラーが主であり、イスラームが宗教であり、ムハンマドが使徒であることに満足する者は、イーマーンの旨みを味わったのだ。」(ムスリムの伝承[2]) ②       イーマーンの甘美さとは:預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)が次に示す言葉の中で示されています:「(次の)3つ(の特質)を備えた者は、イーマーンの甘美さを得た者である:つまりアッラーとその使徒がその他のいかなるものよりも愛しいこと、そしてアッラーのみのために人を愛すること、またあたかも地獄の業火に投げ込まれることを厭うがごとく、不信仰に戻ることを厭うことである。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[3]) ③       イーマーンの真実とは:真にイスラームの教えに則っている者、またイスラームのイバーダ(崇拝行為)やダアワ(布教)において努力・奮闘したり、自らの信仰を守るために移住したりイスラームの興隆のための一助を担ったり、あるいはアッラーの道において尽力したり財を施したりする者に授けられるものです。 1-至高のアッラーは仰られました:-ムウミン(イーマーンの徒)とはアッラーが想起されればその心が畏怖の念に襲われ、そして(クルアーンの)節が唱えられればその信仰心が増し、またその主にタワックル(自らの身を完全に委ねること)する者たちのことである。(また彼らは)サラー(礼拝)を行い、われら(アッラーのこと)が糧として恵んだものから施しをする。彼らこそは真のムウミン(イーマーンの徒)である。彼らには主の御元に(高い)位階とお赦し、尽きることのない報償がある。,(クルアーン8:2-4) 2-至高のアッラーは仰られました:-そして信仰し、自らの信仰を守るために移住し、アッラーの道において奮闘した者たち。そして彼らマッカからの移住者たちに住居を提供し、援助した者たち。彼らこそは真のムウミン(イーマーンの徒)である。彼らには(アッラーの)お赦しと尽きることのない報償があるのだ。,(クルアーン8:74) 3-至高のアッラーは仰られました:-ムウミン(イーマーンの徒)というものはアッラーとその使徒を信仰し、その後(その信仰に)疑念を抱くことなく、財と生命をかけてアッラーの道に奮闘する者たちのことである。彼らこそは真に信仰する者たちである。,(クルアーン49:15)   ●     またしもべは、現実に起こった出来事が起こるべくして起こり、起こらなかった出来事はそもそも起こる運命にはなかったのだということを知るまでは、真のイーマーンに到達したことにはなりません。   ●     イーマーンの完全な形: それはアッラーとその使徒に対する完全な愛です。それによってその者の愛する存在が決定付けられます。つまり心の行いである愛も嫌悪もアッラーゆえであり、身体の行いである施しをすることもそれを控えることもアッラーゆえなのであれば、それはイーマーンの完全な形であり、偉大かつ荘厳なるアッラーへの完璧な愛なのです。 アブー・ウマーマ(彼にアッラーのご満悦あれ)はアッラーの使徒がこう語ったと伝えています:「アッラーゆえに愛し、嫌悪し、また与え、禁じる者は、イーマーンを完結したのである。」[4](アブー・ダーウードの伝承[5])   [1] サヒーフ・ムスリム(35)。 [2] サヒーフ・ムスリム(34)。 [3] サヒーフ・アル=ブハーリー(16)、サヒーフ・ムスリム(42)。文章はアル=ブハーリーのもの。 [4] 訳者注:つまり自分の私欲や性向にそぐったものを愛し、そうでないものを嫌うのではなく、アッラーが愛されるもの(例えば信仰者や隣人など)やそう命じられたものをアッラーの御顔ゆえに愛し、アッラーが厭われるものや厭うよう命じられたもの(不信仰や不服従など)を嫌うこと。また施しをするのも見栄や名声などゆえではなくアッラーの報償と御顔を求めるゆえに行い、預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)の家系などアッラーがザカー(浄財)の付与を禁止された者たちに関しては、アッラーのご命令通りに施しを控えること。(アーバーディー著スナン・アブー・ダーウード注釈「アウヌ・アル=マアブード」参照) [5] 良好な伝承。スナン・アブー・ダーウード(4681)、サヒーフ・スナン・アブー・ダーウード(3915)アッ=スィルスィラト・アッ=サヒーハ(380)参照。     9-イーマーンの諸特質   ●     アッラーの使徒ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)への愛:   アナス(彼にアッラーのご満悦あれ)はこう伝えています:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はこう言いました:“私があなた方の父や子、はたまた(その他)全ての者よりも愛しい者とならなければ、真に信仰したことにはならない。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[1])   ●     アンサール[2]への愛:   アナス(彼にアッラーのご満悦あれ)によると、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はこう言いました:「イーマーンのしるしの1つは、アンサールへの愛である。そしてニファーク(偽信)のしるしの1つは、アンサールに対する憎しみである。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[3])   ●     信仰者への愛:   アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はこう言われました:“あなた方は信仰に入るまで天国に入らないだろう。そしてあなた方はお互いに愛し合うようになるまで、信仰には入らないだろう。ではそれをすればお互いに愛し合うようになるものを教えてやろうか?あなた方の間でサラーム(挨拶)を広めるのだ。”」(ムスリムの伝承[4])   ●     ムスリム同胞への愛:   アナス(彼にアッラーのご満悦あれ)によると、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はこう言いました:「自分に欲するものを自分の兄弟‐1説には自分の隣人‐にも欲するようになるまでは、あなた方は本当に信仰したことにはならない。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[5])   ●     隣人及び客人を厚遇し、よいこと以外は話さないこと:   アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)によるとアッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「アッラーと審判の日を信ずる者は、よいことを喋るか、さもなくば黙っていよ。アッラーと審判の日を信ずる者は、隣人を厚遇せよ。そしてアッラーと審判の日を信ずる者は、客人を手厚くもてなすのだ。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[6])   ●     勧善懲悪:   アブー・サイード・アル=フドリー(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「私はアッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)がこう言われるのを聞きました:“悪事を目にした者は、それを手でもって正せ。もしそう出来なければ、舌でもって正せ。そしてそれさえも出来なければ、心でもって正すのだ。そしてそれが最も弱いイーマーンである。」(ムスリムの伝承[7])   ●     助言:   タミーム・アッ=ダーリー(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はこう言いました:「“宗教とは助言である。”私たちは言いました:“誰に対する(助言ですか)?”(預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は)言いました:“アッラーとその啓典と、その使徒、そしてムスリムの指導者たち及び一般の者たちに対する助言である。”」[8](ムスリムの伝承[9])   ●     イーマーンは最良の行い:   アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)によると、アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はある者からこう尋ねられました:「どのような行いが最良のものですか?」(彼は答えて)言いました:「アッラーとその使徒を信じることだ。」すると(その男は)言いました:「その次は何ですか?」(彼は答えて)言いました:「アッラーの道において奮闘することだ。」するとまた(その男は)言いました:「それではその次は?」(彼は答えて)言いました:「正しく行われ、かつ(アッラーによって)受け入れられたハッジ(大巡礼)だ。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[10])   ●     イーマーンは服従行為によって増加し、不服従によって減少する:   1-至高のアッラーはこう仰られました:-かれ(アッラーのこと)こそは、(以前から彼らが備えていた)イーマーンの上に更なるイーマーンを増大させるべく、ムウミン(イーマーンの徒)たちの心の中に静寂を下されたお方である。,(クルアーン48:4)   2-至高のアッラーはこう仰られました:-そして(クルアーンの)ある章句が啓示されると、人々の中には「このクルアーンによって、あなた方の内の誰のイーマーンが増大するというのだ?」などと(嘲笑して)言う者がいる。(しかしながら)そう、信仰する者たちこそがそれを喜々として迎え入れ、それによってイーマーンの増大を勝ち得るのである。,(クルアーン9:124)   3-アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)はこう言いました:「姦淫を犯す者は、ムウミン(イーマーンの徒)である状態の時に姦淫する事はない。また盗人はムウミン(イーマーンの徒)である状態の時に盗みを犯すことはない。またムウミン(イーマーンの徒)である状態の時に人が飲酒することはない。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[11])   4-アナス(彼にアッラーのご満悦あれ)が預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)から伝えるところによれば、彼はこう言った:「“アッラー以外に真に崇拝されるべきものはなし。”と言い、その心に1本の小麦ほどの重さでも善を有する者は、地獄の業火から救い出されよう。また“アッラー以外に真に崇拝されるべきものはなし。”と言い、その心に1本の大麦ほどの重さでも善を有する者は、地獄の業火から救い出されよう。また“アッラー以外に真に崇拝されるべきものはなし。”と言い、その心に1匹の蟻ほどの重さでも善を有する者は地獄の業火から救い出されよう。」尚、別の伝承では“善”の代わりに“イーマーン”という言葉があてられています。(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[12])   ●     イスラーム改宗前に行ったこと:   1-イスラームに改宗した者は、その後イスラームの教えに則って自らを正すならば、改宗以前に犯した悪事は赦される。崇高なるアッラーは仰られた:-(ムハンマドよ、)不信仰者たちにこう言うのだ。「あなた方が(ムスリムに対する敵意や迫害、)あるいは不信仰といった態度に固執するなら、(その罪と預言者たちへの不服従から天罰を下されて滅びた)以前の民と同じ道を踏襲することになろう。」,(クルアーン6:38)   2-またイスラームに改宗しても、それ以前に行った善行はそのまま残り、それによって報奨が与えられます。ハキーム・ブン・ヒザーム(彼にアッラーのご満悦あれ)はある時、アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)にこう言いました:「あなたは(イスラーム以前の)無明時代に私が努めた善行を御覧になられたかと思います。果たしてそれらは私のためになるのでしょうか?」するとアッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「あなたは、あなたが以前行っていた善行を携えてムスリムとなったのだ。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[13])   3-しかしイスラームに改宗しても、イスラームの教えに則って自らを正すことがない場合、彼は改宗以前と以後の罪を問われることになります。預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「イスラームの教えに良く則った者は、(イスラーム以前の)無明時代に彼が犯した物事について問われない。しかしイスラームの教えに良く則らない者は、(彼のイスラーム改宗)以前と以後に犯した物事について問われることになるのだ。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[14])   [1] サヒーフ・アル=ブハーリー(15)、サヒーフ・ムスリム(44)。文章はアル=ブハーリーのもの。 [2] 訳者注:マッカの信仰者たちが迫害を逃れてマディーナへ移住した際、当地で財や住居などを提供しつつ彼らを援助したムスリムたち。 [3] サヒーフ・アル=ブハーリー(17)、サヒーフ・ムスリム(74)。文章はムスリムのもの。 [4] サヒーフ・ムスリム(54)。 [5] サヒーフ・アル=ブハーリー(13)、サヒーフ・ムスリム(45)。文章はムスリムのもの。 [6] サヒーフ・アル=ブハーリー(6018)、サヒーフ・ムスリム(47)。文章はムスリムのもの。 [7] サヒーフ・ムスリム(49)。 [8]  訳者注:イマーム・アン=ナワウィーのサヒーフ・ムスリム注釈によれば、「アッラーへの助言」とはかれへの信仰、シルクの回避、かれをあらゆる欠陥から無縁な存在として讃美すること、かれへの服従、かれへの愛など諸々のことを指しているという。実際のところアッラーはそのしもべからの助言などは必要とはされないが、ここでの「助言」という言葉はしもべ自身に向けてのそれを表している。また「その啓典」に対する助言とは、それがアッラーの御言葉であり、かれからの啓示であること、またそれが他のいかなる言葉にも似ておらず、いかなる者もそれに匹敵するものを創作出来ないことなどを信仰し、また正しい朗誦と畏怖の念をもってそれを読誦すること、熟読吟味しかつそれを訓戒とすること、それを学びかつ実践することなどを意味するという。「その使徒たち」に対する「助言」とは、彼らと彼らが携えて到来したものを信仰すること、彼らへの服従、尊敬、彼らの生き方や人格の模倣、その教えの布教、彼らの教友たちを愛することなどが含まれる。また「ムスリムの指導者たち」に対する「助言」とは、真実において彼らを援助し、服従し、穏和な手段をもって勧告し、忘れている事を想起させ、彼らのために祈願し、見捨てたりしないことなどが挙げられる。一方「一般の者たち」に対する「助言」とは、彼らを現世と来世における福利のために導くこと、害悪から守ること、無知を除去してやること、言葉と行いでもって援助すること、恥部を隠してやること、同情すること、騙したり嫉妬したりしないこと、自ら欲することを彼らにも欲することなどを意味するという。 [9] サヒーフ・ムスリム(55)。 [10] サヒーフ・アル=ブハーリー(26)、サヒーフ・ムスリム(83)。文章はアル=ブハーリーのもの。 [11] サヒーフ・アル=ブハーリー(2475)、サヒーフ・ムスリム(57)。文章はムスリムのもの。 [12] サヒーフ・アル=ブハーリー(44)、サヒーフ・ムスリム(193)。文章はアル=ブハーリーのもの。 [13] サヒーフ・アル=ブハーリー(1436)、サヒーフ・ムスリム(123)。文章はムスリムのもの。 [14] サヒーフ・アル=ブハーリー(6921)、サヒーフ・ムスリム(120)。文章はムスリムのもの。