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預言者モスクの訪問

اليابانية - 日本語

المؤلف ムハンマド・ブン・イブラーヒーム・アッ=トゥワイジリー ، サイード佐藤
القسم مقالات
النوع نصي
اللغة اليابانية - 日本語
المفردات سورة الحج
巡礼者は大概マディーナの預言者モスクも訪問するものですが、訪問に関しての簡単な規定などを見ていきます。

التفاصيل

⑩預言者モスクの訪問● 3つのモスクの特質: 3つのモスクとは:①マッカのハラーム・モスク、②マディーナの預言者モスク、③エルサレムのアクサー・モスクのことです。 1-ハラーム・モスクとは:イブラーヒーム(アブラハム:彼に平安あれ)とその息子イスマーイール(イシュマエル:彼に平安あれ)の建設したモスクで、ムスリムのキブラ(礼拝の際に向かう方向)であり、ハッジの訪問先でもあります。またそれは史上最初に人々の崇拝行為のために建設された館であり、アッラーはそれを祝福に溢れ、全世界のための導きとされました。 預言者モスクはその名の通り、預言者ムハンマド(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)とその教友たち(彼らにアッラーのご満悦あれ)がタクワー[1]の念を礎として建設したモスクです。 アクサー・モスクはヤアクーブ(ヤコブ:彼に平安あれ)が建設したモスクで、ムスリムの最初のキブラでした。 2-これら3つのモスクでのサラー(礼拝)には、幾倍もの報奨があります。またそれ以外の諸々の特質ゆえにも、ムスリムはこれら3つのモスク以外の場所を目的地として旅立ちはしないのです。● 預言者のものであるかそうでないかを問わず、誰かの墓の訪問を目的として旅立つことは禁じられています。 アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「ハラーム・モスク、預言者モスク、アクサー・モスクの3つのモスク以外の場所を目的として旅立ってはならない[2]。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[3]) ● 預言者モスクの訪問に関する法的見解: 預言者モスクの訪問はスンナ[4]です。預言者モスクに入ったら他のモスクでするのと同様に、まず2ラクアのタヒイヤト・アル=マスジド[5]を行います。 それから預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)のお墓に赴き、その前に立って「アッ=サラーム・アライカ・アイユハンナビイユ・ワ・ラフマトゥッラーヒ・ワ・バラカートゥフ(預言者よ、あなたにアッラーからの平安とご慈悲と祝福あれ)」と挨拶します。また正しいハディースによって伝えられる、墓を来訪した際の他のドゥアーを唱えても良いでしょう。それから右側に一歩進み、アブー・バクル(彼にアッラーのご満悦あれ)にも同様に挨拶します。そしてその後はまた右側に一歩進み出て、今度はウマル(彼にアッラーのご満悦あれ)に挨拶します。アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:「私に挨拶(サラーム)する者には、私がそれに返事すべく、アッラーが私の魂を私の体に戻して下さるであろう。」(アブー・ダーウードとアフマドの伝承[6]) ● 預言者モスクでサラー(礼拝)することの徳:マディーナの預言者モスクでのサラーは、それ以外のモスクでするサラーの1000倍の報奨があると言われています(但しマッカのハラーム・モスクは除きます)。1-イブン・ウマル(彼らにアッラーのご満悦あれ)によれば、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「私のこのモスクでするサラーは、それ以外の他のモスクでする1000回のサラーよりも優れている。但しハラーム・モスクはその限りではないが。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[7]) 2-アブー・フライラ(彼にアッラーのご満悦あれ)によれば、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は言いました:「(預言者モスクにおける)私の住まいと私のミンバル(説教壇)との間には、天国の楽園の1つがある。そして私のミンバルは、(天国にある)私の水辺[8]の上にあるのだ。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[9]) ● アル=バキーゥの墓地[10]とウフドの役の殉教者たちを訪れ、彼らに挨拶やドゥアー(祈願)をしたり、罪の赦しを乞うたりすることはスンナです。尚、墓場を訪れた時には次のように唱えます:1-「イーマーンの徒とイスラームの徒[11]からなる墓の住人たちよ、あなた方の上に平安あれ。アッラーが私たちの内の先人たちにも後人たちにも、ご慈悲を垂れて下さいますように。そして実に私たちはアッラーの思し召しと共に、やがてあなた方の所へと仲間入りする身の上なのです。」(ムスリムの伝承[12])2-あるいはこう唱えます:「イーマーンの徒とイスラームの徒からなる墓の住人たちよ、あなた方の上に平安あれ。実に私たちはアッラーの思し召しとともに、やがてあなた方の所へ仲間入りする身の上なのです。私はアッラーに、私たちとあなた方の無事[13]を祈ります。」(ムスリムの伝承[14]) ● クバー・モスク[15]でサラーすることの徳:家でウドゥー[16]してから、乗り物なり徒歩なりでクバー・モスクへと赴いて2ラクアのサラーをすることは、ウムラを1回分の報奨に匹敵します。尚それには土曜日が最もよいと言われています。1-サハル・ブン・ハニーフ(彼にアッラーのご満悦あれ)は言いました:「アッラーの使徒(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)は言いました:“自宅で体を清め、それからクバー・モスクに赴いてサラーをする者には、ウムラ1回分の報奨があろう。"」(アン=ナサーイーとイブン・マージャの伝承[17])  2-イブン・ウマル(彼らにアッラーのご満悦あれ)は言いました:「預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は毎週土曜日に、乗り物用の家畜かあるいは徒歩でクバー・モスクを訪れたものです。」(アル=ブハーリーとムスリムの伝承[18]) ● マディーナの預言者モスク来訪はハッジやウムラの儀の一環というわけではなく、それなしでも巡礼は成立します。預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)のモスクを訪れることは、いかなる時期においてもスンナなのです。 [1] 訳者注:「タクワー」は「自らを守る」という動詞の名詞形。つまりアッラーを畏れ、またそのお怒りと懲罰につながるような行い‐つまりかれが命じられたことに反したり、あるいは禁じられた事柄を犯したりすることなど‐を避けることで、自らの身をアッラーのお怒りや懲罰から守ることを意味します。[2] 訳者注:ある学者たちは、ここで意味しているのはこれら3つのモスク以外の場所を目的として旅行してはならないということではなく、これら3つのモスク以外のモスクを目的とした旅行が非合法なのだ、といったような解釈もしています。[3] サヒーフ・アル=ブハーリー(1189)、サヒーフ・ムスリム(1397)。文章はアル=ブハーリーのもの。[4] 訳者注:預言者ムハンマド(彼にアッラーの祝福と平安あれ)の示した手法や道のこと。ムスリムは可能な限り、彼のスンナを踏襲するべきであるとされています。[5] 訳者注:モスクに入った時、腰を下ろす前に行う2ラクアのサラーのこと。預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)のスンナです。[6] 良好な伝承。スナン・アブー・ダーウード(2041)、ムスナド・アフマド(10827)。[7] サヒーフ・アル=ブハーリー(1190)、サヒーフ・ムスリム(1395)。文章はムスリムのもの。[8] 訳者注:詳しくは「タウヒードとイーマーン」の章の「最後の日への信仰‐8預言者たちの水辺」の項を参照のこと。[9] サヒーフ・アル=ブハーリー(1196)、サヒーフ・ムスリム(1391)。[10] 訳者注:預言者モスクの東側に位置し、数多くの教友が埋葬されている墓地です。[11] 訳者注:詳しくは「タウヒードとイーマーン」の章の「イスラームとイーマーン」の項を参照のこと。[12] サヒーフ・ムスリム(974)。[13] 訳者注:つまり墓の中での懲罰からの無事のことです。詳しくは「タウヒードとイーマーン」の章の「最後の日への信仰①」を参照のこと。[14] サヒーフ・ムスリム(975)。[15] 訳者注:預言者(彼にアッラーからの平安と祝福あれ)がマディーナにヒジュラした際、現在のマディーナの中心地から約6kmの地点に建設したイスラーム史上最初のモスク。[16] 訳者注:イスラームにおいて定められたある一定の形式における、心身の清浄化を意図した体の各部位の洗浄。[17] 真正な伝承。スナン・アン=ナサーイー(699)、スナン・イブン・マージャ(1412)。文章はイブン・マージャのもの。[18] サヒーフ・アル=ブハーリー(1193)、サヒーフ・ムスリム(1399)。文章はアル=ブハーリーのもの。